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stoa派

ataraxiaへ。

近況報告、技術ないし知識と芸術について

 かなり久々の記事投稿になってしまった。あることを習慣とすることは、かなり能動的に動かねば難しいということをひしひしと感じる。気を取り直して4月から更新頻度を上げていこうと思う。毎日少しづつでも、その日の学びを書き留めておきたいからだ。今回の投稿は今日勉強したプラトンの芸術批判と筋トレについてだ。

 【結論】詩人・吟遊詩人・弁論家は知識(あるいは技術)ない。また、絵画において技術もない!!!!

【どういうことか】

 プラトンが生きた時代はあの「イリアス」とか「オデュッセイア」の作者であるホメロスが神みたいな存在だった。ホメロスの詩が道徳・教育の教材として使われていた。言ってみれば中国の孔子みたいな立ち位置だったのだろう。今から考えれば詩が教材に使われていたのは驚くべきことで、この時代は詩と学問は分離されてなかった。

 で、このホメロスの詩によって民衆を教育するの、民衆とホメロスとのパイプ役をしていたのが吟遊詩人である。つまり、吟遊詩人はホメロスの詩を民衆の前で詠んでいた。吟遊詩人はホメロスという教材を生徒に教える教師的な役割をになっていたのだろう。多分。

 教師的な立ち位置に立つ吟遊詩人はもちろん教材(詩)がどのようなものであるかは理解した上で聴衆(民衆)に伝達する必要がある。吟遊詩人たちは「その技術(知識)ゆえに」詩人の考えを理解して、民衆を教化しているはずである。

 しかし、プラトンの師匠ソクラテスはこう考えていた。「神的な存在のホメロスの詩が吟遊詩人たちによって正しく詠まれるならその他すべての詩人の詩も正しく詠めるはずである」と。

 吟遊詩人のイオンはホメロスの詩を上手く詠めたそうだが、ソクラテスの理論に当てはめてみると、イオンはすべての詩を詠めるはずである。しかし実際そうではなかった。ではなぜイオンは上手くホメロスの詩を詠めたのだろうか?

 ソクラテスの解答はこうである。”「神的な力(theia dynamis)」によってイオンうまく詠めた。”そうして吟遊詩人=知の不在だということを悟った。また、詩を作ることが可能な時はソクラテスによれば”我を忘れ、知性が存在しないとき”であるので、詩人も<知の不在>である。

 

どのようにして<知の不在>までたどり着いたかを詳細に今から書こうと思ったのだが、ここまで書くのに30分ほどかかったので今日はやめとこう。、、というかあんまり時間をかけすぎると続かない、。

 

ということで今日はここで終わり。

 

筋トレについての報告

ベンチ50kg*2set  45kg*2set  40kg*1set

ラット40kg*3set  35kg*2set  30kg*2set

順調に伸びてます。服を着てるとまだまだガリガリだが、ほんの少し変わって嬉しい。

おやす。、、、