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ベンヤミン 「複製技術時代の芸術作品」

 学問って本当に有機的に結びついている。「今更なにを」と思われるかもしれない。なぜそう思ったのかといえば、芸術の受容の容態と社会との関わりについて勉強していたら、気づけば言語学にたどり着いていたからだ。その経緯は以下のようである。

 今、ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」精読を読んでいる。その8章でミメーシスという単語が出てきた。僕はその意味がわからなかったので、ググった。するとミメーシスは古代ギリシアを起源にする言葉だとわかった。調べたところによると、古代ギリシアにはディエゲーネスとミメーシスという概念があるようだ。前者は小説などの物や人などの描写部分にあたり、後者は会話部分を指すという。そして、ミメーシスはディエゲーネスよりも現実を反映するものとして、古代ギリシアの中ではより重んじられた。そのため会話が中心となる演劇が盛んだったのである。古代ギリシアでは、現実を反映しているということは、とりもなおさず、イデア(本質)を反映していることである。よってミメーシスはイデアのコピー(模倣)となる。ミメーシスは本質を映すものとして近世まで信じられてきた。しかし20世紀になって言語学ソシュールが「言葉とそれを表す対象との結びつきは必然ではなく、恣意的なものだ」と論じたために、ミメーシスは信じられなくなった。

はい。出ましたソシュール。となったわけだ。ベンヤミンを勉強していたらソシュールにぶつかる。ベンヤミンを勉強してたら唯物史観にぶつかる。それは自然と思われることだが、ベンヤミンを勉強していて、ソシュールに行き着く。とはまぁ普通思わないわけだ。

学問とは違うが、なんでも繋がってるという体験は感動を引き起こす。こないだ、ジブリの楽曲を聴きながらドライヤーをしていたら、なぜ?って繰り返していくと本当の原因を見つけることができるってよくいうけど。確かにそのような気がしてきた。

例えば、

A「布袋虎泰ってすごいよね。ナウシカ王蟲の声も布袋さんらしいよ。」

B「布袋さんて誰だよ?」

A「布袋虎泰はRIPSLYMEとかともコラボしてるすごいギタリストなんだ。」

B「確かに」という会話が成立したとする。

そうすると以下のような疑問が芋づる式に生じうる。

*「なんで布袋さんはすごいギタリストになりえたんだろう?」

*「布袋さんがバンドとして成功したのはなんで?」

*「もちろん音楽性とかもあるだろうけど、当時どうして布袋さんのバンドがばかうけしたんだろう?」

*「バンドが時代にマッチしていたっていうのもあるなぁ。」

*「じゃあその時代ってどんな時代?」

*「なんでそんな時代になったの?=歴史って知っとけばやっぱいいな。」

*「じゃあ歴史を分析するのはどう?それが例えばマルクス唯物史観とかなんかな?」

 

とカオス理論はたまたバタフライエフェクトが如く一気に世界が展開し始める。こういう感動をいつも絶やさず、勉強していこうと思うのでした。

 

おわり