ヘーゲルとダントーの芸術終焉論比較

ヘーゲルダントーの芸術終焉論の要点を比較して表にしてみた

 

<芸術終焉論>
①象徴的芸術
 
②古典的芸術 ③ロマン的芸術
 
④ロマン的芸術の崩壊
 
 
 
神聖
 
神聖
神聖
 
世俗化
 
 
 
形態が内容に追いついてない
 
形態と内容が一致 形態は内容を暗示的に示す
 
もはや内容は芸術家が決める(=芸術の目的(神の表現)が変化=ドラスティックな変化
 
 
 
 
 
 
 
オランダの静物画、イタリアのオペラの宮廷音楽侵略
 
 
 
 
 
 
ギリシア キリスト教
 
 
 
 
ダントー ①模倣理論
 
 
 
 
モダニズム
 
ポストモダン
 
模倣のみが芸術
(ただ一つの芸術はこうあるべきだ!という哲学)
 
 
 
 
その時の主流のみが芸術(複数の芸術に関する哲学)
 
主流の喪失(芸術が哲学・概念的なものになる)
ヘーゲル精神現象学 自然的意識(ぼんやりとした私)
 
 
 
 
自己意識(あなたを意識した私、自己と他者の二元論)
 
他者関係の中での自己意識(複数のあなたを意識したわたし、私という感覚はあなたも持ってるということを認識した上の私)間主観性???
ヘーゲルの政治的ナラティブ>歴史は自由へ向かう過程
一人だけが自由
 
 
 
 
一部だけが自由
 
全員が自由
 
 
 
 
 
(写真の登場)
 
(ブリロの登場)
 
 
模倣が目的(イリュージョン化)
 
 
 
 
 
芸術の目的の変化=模倣でなく、形式・媒体の特有性へ内省・ドラスティックな変化
 
 
 
そもそも、自然を模倣するのが芸術の役割だと無批判的に受け入れられていた
 
 
 
 
模倣技術を高めてきたのに、写真にはどうしても勝てない。→芸術とは何か?という哲学的な問いが立てられる。(=芸術は知的な考察へと向かう)そして派ごとにこれが芸術であるという(マニフェスト)とともに芸術が定義される
 
スタイル的命法の死、歴史的方向性の欠如、非芸術と芸術の視覚的な差異の消滅→もはや、芸術の見かけ上の定義は不可能→
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「ヘーゲル美学における芸術の終焉と新生」小田部胤久『ヘーゲルを学ぶ人のために』加藤尚武編

1835年、ヘーゲルの弟子のホートーによって公刊された『美学講義』
その中の
 
「芸術は、その最高の指名に関していえば、我々にとって過去のものであり、またそうあり続ける」=「芸術終焉論」
 
(*ただし「終焉」という言葉は出てこないし、芸術の製作が終わったということも意味しない)
 →アヴァンギャルド運動、アヴァンギャルド運動の失速に関連して、ヘーゲルのこの言葉が再注目されていた。しかし、現在形で語られているように、それが予言として言われたものではない。
 
Q:では、ヘーゲルの言葉は何を意味しているのか?ヘーゲルの芸術終焉論とはどんなもんで、そこで終焉を宣告されている芸術とはどんな種類の芸術なのか?これを明らかにするのがテーマ
 
 
<1ヘーゲル美学の歴史的前提>
Qそもそも「芸術」はいつから始まったのか?
 →「芸術」という言葉は18C中葉に生まれた
ラスコーの洞窟壁画やギリシア彫刻をまとめて「芸術」とは作られた当時思われなかった。
壁画は呪術的なものだったし、
彫刻は礼拝の対象だった(=宗教と芸術は一致していた)
 
18Cは合理主義の時代であり、感性は理性と比べて軽んじられていた。もっと言えば、感性は反知性的なものとして人間を誤りへと導くものとして考えられていた。
だが、感性を、「理性らしきもの」「理性に類比的なもの」、「下位認識能力」として捉えられるようになった。
 
(例えば)寓話は、感性(具体)を通じて理性(抽象)を語るもの。この点で「理性らしきもの」と言える。
 
でも、このままじゃ、結局、理性>感性 という図式は克服できない。あくまでも理性に追随する、理性を補完する感性という図式になってしまう。
 
●カントの成果
感性を理性に従属的なものとして捉えるのではなくて、感性自体に価値を付与した。
 
その出発点『判断力批判
 
自然界(現象界) 叡知界(物自体)
知的直観(=時空認識とその認識のカテゴリーの当てはめ)ができる 知的直観ができない
客観的 主観的
規定的判断力 反省的判断力
概念的判断 美的判断=悟性と構想力との合目的性に即した判断、悟性と構想力の自由な誘導を可能にするのにふさわしい対象こそ「美しい」と呼ばれる
でも、心で思ったこと(自由)は外(自然)で実現されなければならない。そこでカント考え付いたのが「自然の合目的性」
 
*自然の合目的性:例えばバラの花は人間に綺麗に見えるために綺麗な花を咲かせているわけじゃない。でも、あたかも綺麗になるかのように、バラは咲いている。本当は綺麗になることが目的じゃないのに、あたかも、綺麗になることが目的かのように咲いてる。この、目的を持ってるわけじゃないけど、なんとな〜く目的を持ってるように見えるのが「自然の合目的性」
 
→自然それ自体は人間の「自由な意志」に依存しない、つまりバラに「美しくなれ!」と思っても、何の効果もない。=心で思ったことが物に影響することはない
この合目的的かどうかを判定する能力を「反省的判断力」といった。つまり、バラを悟性と構想力の合目的性に即して判断するのが美的判断であるが、この美的判断の種類は「反省的判断」=主観的判断である
 
カントはバウムガルテンが始めた美学の領域を反省的判断力がかからる「自然の合目的性」のうちに定位した。
言い換えれば、美てのは、自然と自由が交差しているところに捉えられる。(=自然の合目的的なところに美がある)
 
→この考えはシラーにも受け継がれた、『美的教育についての書簡』で、美こそ自然と自由の調和・統一であり、美こそが(新善美の?)最高位だ!(⇄カント「美なんて善に至る前段階だよ」)
シラーはカントの形式主義を受け継いで、(形式・内容、理性・感性)シラー的に言えば「素材衝動」「形式衝動」の相互作用に美は見出されると主張。←結局はカントを乗り越えることができなかった…
 
→一方、ヘルダーリンシェリングは違う。どこが違うかというと、叡智界をカントは「知的直観できない」といったが、我々は「知的直観」をしているのではなく、「美的直観している」と彼らは考えた。しかもこの美的直観てのは主観的なもんじゃないともいう。これは現象界の知的直観に基づいているらしい。
 
シェリング「美的直観」について
シェリングがたどり着いた結論:「美的直観は知的直観の客観化されたもの」→(ここから導きだされるのは)「芸術は哲学の唯一真にして永遠の機関であり同時に証書である」ということ
 
じゃあその美的直観って何やねん?てところから。。
そもそも、シェリングの哲学の原理は、「自我における同一性」すなはち「知的直観」である
 
自由 自然
意識的なもの 没意識的なもの
主観 客観
要は、自我では主観も客観も、自由も意識も、意識も無意識も、一緒になってるってこと。この三つが自我で一緒になってる状態を知的直観と言った。
↓でも、
一緒になってるってことは、知的直観を客観化することはできない。
↓そうはいっても
客観化しないと、単にうわごとゆうてるだけになるし、学問としては意味ないね。
↓そこで
知的直観を客観化するにはどうすればいいか?をシェリングさんは考えることになった
 
シェリングさんはいろいろ悩んだ挙句、「芸術でも知的直観が客観化されている」と考えた
というのも、芸術ってのは、画家の
技術(意識的・主観的なもの、自由、)
天分(天賦の際)(没意識的・客観的なもの、自然)が一致してる!
→よって芸術作品は、哲学ができない知的直観を客観化したものと考えられる
 
芸術作品は抽象的な哲学が具体化したもの(道具であり、結晶化したもの)であるということ
→だから、ええ作品ていうのは哲学的な思考が促されたり、逆に哲学的思考が具体的な形を持ったものとして捉えることができるんだね→こういう考え方はハイデガーとかアドルノに受け継がれた
 
しかし!!!!
思考をそのまま絵に固定化することはできるのか??=思考をそのまま絵として表現できるのか??
→答えは、否。だって、もし絵が何か一つの思想を表しているとすると、そこに多様な解釈なんてないでしょ?→ある絵が色々な解釈をされるということは、思考が結晶化・固定化・具体化されたものでないということだ。
つまり、絵は極めて感性的=「感性的充満」であるがゆえに、概念的「抽象言語を使って・哲学的に」に把握しきれないという特徴がある
これに気づいたのがヘーゲル
 
 
 
芸術 哲学
方法 感性的に提示 概念的に提示
目的
絶対精神の表現=神の表現
精神の最も包括的な真理の意識化
絶対精神の表現=神の表現
精神の最も包括的な真理の意識化
 
 
 
ヘーゲル美学の歴史観
要点
①古典的芸術は美の頂点に位置する
②なぜなら古典的芸術は宗教・絶対者と、内容・形態の点で一致しているからだ。
③しかしロマン的芸術は古典的芸術よりも「高次」である。
④これはロマン的芸術は芸術家の想像力によって内容・形態が規定されていることによる。
⑤この内容と形態の分離は、ギリシアキリスト教の絶対者に対する考え方の相違によって引き起こされた
⑥要は、ギリシアでは感性的表現で絶対者は表せると考えたのに対し、キリスト教では感性的表現によっては無理だと考えられた
⑦これによって、ロマン的芸術は感性的表現を超えるものとして考えられる。ゆえに古典的芸術より高次な芸術に分類される。
⑧ここから「芸術の終焉が導かれる」
⑨というのも、もはやロマン的芸術においては、絶対者を意識させないような芸術作品が作られるから=要は、絶対者の表現の芸術は終わったということで、ヘーゲルにとって芸術とは絶対者の把握であったのだから、ロマン的芸術はヘーゲルにとっての「芸術」ではないということ。
 
ヘーゲル シェリング
芸術は絶対者を把握するためのもの
芸術は絶対者を把握するためのもの
絶対者は概念的・哲学的にに把握されるべきだ
なぜなら、絵は極めて感性的=「感性的充満」であるがゆえに、概念的「抽象言語を使って・哲学的に」に把握しきれないという特徴があるから
=媒体の差異=理性的(抽象的言語)・感性的(具体的作品)
絶対者は感性的媒体を通じて把握される(=古典的芸術については妥当)
ロマン的芸術においては、芸術と哲学(=絶対者の概念)は分離
芸術は哲学の機関にして証書=芸術と絶対者の概念は表裏一体の関係=古典的芸術
●ロマン的芸術の崩壊→絶対者(無限なるもの)の表現を忘れ、日常を描くことになってる。
原因:世俗化・宗教のパワーがなくなってくる?
結果:芸術家たちは、ロマン的芸術の使命を忘れている…絶対者を隠喩的に表現すること
ex)オランダの静物画・風俗画
 
そもそも、ロマン的芸術ってのは、「感性で表せないもの」を表現するために、なんとかしてそれを表現すべく、「間接的な・隠喩的な表現」を用いてきた。でも、世界が世俗化(=宗教のパワーがなくなってくる)するに連れて、芸術家は「感性で表せないもの(=無限なるもの)を表現しよう!」というロマン的芸術の特質を忘れ、身の回りの「有限なもの」を描写しようとする。その例がオランダの静物画とか風俗画。だからこんなものには、「無限なるものの」要素がないし、言い換えれば、何も暗示しないし、意味はない、何の深い概念も含まれてない。だからこそ、このような芸術家が「周りにあるものを(偶然的に配置されてるもの)」を描写しただけの作品に、シェリングの主張が通用するわけがない。要は、意味のない芸術作品が「哲学の機関であり証書」となるあはずがない!「内容を持たない芸術は、哲学的思考の結晶とはなりえない」by小田部
 
パラドキシカルだけど、ヘーゲルによればこの事態こそ、芸術の新生なのである。
 
何でかというと、ロマン的芸術の崩壊した時代においては、芸術に「形態と内容の一致」や「絶対者の表現」を課されることがないからだ。これがどういうことを意味するかというと、芸術家は自分の創作意思に従って、好きに芸術を創造できる。「聖なるものを表現しなくても良くて、人間的なもの、世俗的なもの、喜び悲しみ、悩みなど、普遍的な人間性」を自由に表現することができるから!そしてそれを「新たな聖域」としている。
 
「人間的諸目的に叶うようになる!!」
 
 
 
 
「ロマン的芸術の崩壊」→「芸術家の自由の獲得」「スタイル的命法の脱却」という点でダントーと共通している。これこそが、ダントーヘーゲルを評価したポイントなんちゃうか???
 
Hegel
Danto
宗教(形態・内容を規定するもの)からの脱却→(宗教に縛られない)芸術のための芸術の登場 スタイル的命法(形態を規定するもの)からの脱却→(スタイルに縛られない)多様な芸術の登場
 
 
<参考>
 
<yahoo知恵袋より>
まあ[現象界]てのは、簡単に言えば 
我々人間が[理解出来る]又は[認識出来る]という《範囲》の事だな
カントの言う《理性》てのは、非常におおざっぱに言うと
《時空認識と、その認識のカテゴリーの当て嵌め》にある
まあ要するに、人間が認識出来るのは、結局全てが《時空》な訳なんだよ
この時空認識を、人間は先天的能力に当て嵌めて、様々に構築し、対象をカテゴリー分けしていくんだな
ま、簡単に言えば
《空を飛ぶ渡り鳥の群れ》が、綺麗な三角形を形成して飛んでいる[現象]を見た際に
我々の能力は《三角形が空間を移動している》と、認識出来る力を保有しているのだが
この《三角形を三角形と認識出来る》また《それが時間と共に、空間を移動している》と認識する事そのものが
まさに悟性、つまり《カテゴリーに当て嵌めている》という訳だ
つまり、我々人間は、世の中を理解する事が可能な《認識能力の範囲内》が、その時空認識と悟性による構築の範囲内であるとしたんだな
だから当然、我々は《想像》や《経験や知識》も、その能力基盤上にしか成り立たないのも、またしかりな訳だ
ま、つまり《英知界》てのは、その認識能力が《働きかけられない範囲》を指す事になる
例えば《人格》とか《信仰》とかなんかは分かり易いと言える
[あの人は人格者だ]
[彼の信仰心は素晴らしい]
まあ、良く聞く台詞だが、解るとは思うが、これらはもはや
《目にも見えない》し《音もしない》し、どうした所で《表現が出来ない》という訳だ
つまり時空認識やカテゴリーの範囲内に現れないという性格を持っている
だが間違いなく《人格》や《信仰》という事実は、そこに《在る》訳で、これは疑いようがないんだな
こういった、経験や理論を越えた物を、少なからず人間は保有出来る部分がある
《認識出来ない》のにも関わらず《在る》
これをカントは《人間は現象界に属しながらも、英知界に棲む》とした
その英知界が、いかに構築され、理論的に理解する事などは、人間には不可能であるんだな
何故なら、我々は《認識した事は、全て現象界》になってしまうからな訳だな
ま、こんな感じだな
 
 

『物語の哲学』野家啓一①

●歴史の終焉とは
「歴史の終焉」が喧伝されるになったきっかけ
 →アレクサンドル・フクヤマの論文「歴史は終わったのか」
  そのテーゼ:「人類のイデオロギー的な進展は終局に達したのであり、欧米の自由な民主主義が人類の統治形態としては究極のものであることを示している」
 
論拠:ヘーゲル哲学、特にヘーゲル哲学を研究していたコジェーヴの哲学(=ヘーゲル解釈)
 援用箇所:『ヘーゲル読解入門』7章の注
 
筆者の主張:コジェーヴフクヤマの主張の意味のあるところは、起源から目的・完成へと向かう進歩的な西洋型の歴史の終焉を説いている箇所=「歴史の目的論」の衰亡
 
●では、歴史の終焉後、歴史がなしうることって?(写真の登場後、画家がなしうることって?、ポップの登場後、芸術家がすることって?)
 
この問いのヒントは同じくコジェーヴの論に隠されている。そして彼の主張はダントーの主張と重ね合わせて見ることができる。
 
 
まず実在する歴史が仕上げられなければならず、ついでこの歴史が人間に物語られねばならない。 加えて、歴史的想起なしには、すなわち語られたり書かれたり記憶なしでは実在的歴史はない
実在論的歴史哲学 分析的歴史哲学
マルクスヘーゲルただ、現象学においては、ポストモダン的なことをゆうてる?つまり、他者も自分と同じように自己認識を持っているということの認識の到来=自己認識の到来この点とダントーはポップの到来=非イデオロギー的多様性、非スタイル的命法の時代の到来を重ねて考えてるんじゃないか)
 
イデオロギー イデオロギー的=多様性
モダン ポストモダン
物語ることなしに、歴史を説明することはできない。そして、歴史は常に未来の出来事によってその意義が変化するものであるから、歴史は「絶えず生成と変化を続けていくリゾーム状の生き物なのである」
全てを語ることは何も意味しない。出来事は終着点から遡行的に見ることによって説明できる。神のような歴史家が、あらゆる全てのことを記録したとしてもそこには何もストーリー(コンテクスト)がない。
 
過去の出来事の意義が未来によって変化する、この点において未来と同様に過去も「開かれている」ということができるのであり、過去の出来事が固定的になることはない。ゆえに歴史は「未完結」であるということができる
 
では、歴史の終焉後、歴史がなしうることって?
    →「起源とテロス」が「不在」である歴史の終焉においては、非イデオロギー的に「歴史」を構想することができる。
 その寛容さを我々は享受している
 
 
 
 
 
 
 

「歴史的出来事の実在性をどう考えるか : A・C・ダン トーにおける歴史の物語り論の検討」大塚, 良貴 の内容

 
 
●議論の大枠
ダントー「物語ることってのは過去の出来事を振り返って、出来事と出来事の間に意味を見出すことだ」
↓(そこでは)
ダントー「物語が正しいかどうかってのは、実際に出来事があったかどうかに左右される」>(実在論的)
↓(その一方)
ダントー「物語を作っていく上で、実際にあったかどうかはわからんけど、あったとしたほうが、いろんな出来事が説明できることがあるし、その場合はあったことにした方がええ」(反実在論的、道具主義
↓(これを受けて)
筆者「過去の出来事が本当にあったから物語を作れるるのか、物語る上で必要だから過去の出来事を実在したことにするのか、ダントーはどっちの立場も取ってる。これは矛盾」
同様にウェーバーマン「(ダントーは)維持不可能な二元論に陥っている(何故ならば)ダントーは過去の実在性に依拠しつつ物語文を構築するが、物語文によって過去の実在性は変化するから」
↓(これを乗り越えるために野家の提案を紹介)
野家「歴史を物語るってのは、循環行為なんだ。過去の出来事がないと物語ることなんてできないし、物語ることによって過去の出来事を確認することだってある。これを存在論的先行性と認識論的先行性の循環構造って呼ぼう」
↓(でもこれでも解決できない問題がある)
筆者「そもそもなんで物語ることによって過去の実在性が変化したり、確認したりすることができるんだ?という問題だ」
筆者「それは俺らは、とりあえずなしうる限りの整合的な歴史を持ってて、このみんなが正しいと思っているとりあえずの大きな歴史に、新たな物語が矛盾なく組み込むことができたら、その物語の一部に新しい物語が入ったということになる。新しい物語が歴史の一部になるってことは、実在性が認められたってことになる。こういうわけで、物語るってことは、それが大きな物語と整合的ならば、過去の実在性を変化させたり、確認したりすることができる。
 
 
 
 
ダントー「歴史とは過去の出来事を回顧的に組織化する科学的説明の一種であり、これは通常物語るという言語行為によって行われる」←当時盛んだった論理実証主義とは一線を画す(ウィトゲンシュタインら)
 
 
<本論>
●歴史物語の成立要件
 ①:全ての出来事を既述することでなく、歴史的物語によって回顧的眼差しによって過去の出来事
   を組織化し、その意味連関を創る
 ②:物語ることは<what何が><howどのように>の二つをストーリーを提起することによって
         のべる説明すること
 
①全てを物語ることは何も意味しない:物語ることは強調・省略・排除すること
 例えばきのう何があった?と問われた時に、きのうの出来事を目覚めてからのことを何時何分何秒に何があったと説明することは普通しない。きのうあったことを特徴的に述べること。つまり問いの本質は「昨日特に何があった?」ということだ。
実際に我々が知っている歴史は全てがそう。例えば「ウエストファリア条約は神聖ローマ帝国を崩壊させた」=確かに神聖ローマ帝国は崩壊したが、それはウエストファリア条約がなした一つの帰結であって、ウエストファリア条約の全てではい。つまりここでも省略・強調・排除が行われている。
 
②物語る時には<what><how>が必ず並存する。例えば警官が車の事故の際に目撃者に「何が起こった?」と尋ねるとき、目撃者は「車の事故が起こった」とだけ答えることはしない。車の事故が起こったのは自明だからだ。そうではなく「トラックが信号無視して左折してきて、それにセダンがぶつかった」のような経緯の説明、つまり<how>どのように事故が起きたかが、質問の回答としては適切だろう。
 
what
how
事実の記述 事実の説明
両者が並存。
 
●では、どのように記述・説明は作られるのか?→物語文によって。
 
<物語文の作り方>
Step1:(時間的に差のある)関連する出来事の抽出
Step2:出来事と出来事の間を詳細に記述
Step3(完成):前件を説明している
 
 
具体例:
アリスタルコスの仕事は、コペルニクスの仕事に先鞭をつけた…①
(前件)         (後件)
 
*注意:この文が真になるためには、前件と後件の実際の結びつきが正しくなければならない
もしこれが嘘なら、フィクション文となる。…②
 
Qでは物語文の寄せ集めが、物語になるのか?→答えは否である。
単なる物語文の集積は、原因と結果の集積であり、ここから<物語>という「構造」の基準に即して、物語文の取捨選択を行わないといけない
 
●では、<物語>とはどういうものか?
物語には:始め・中間・終わり が存在する。
例えば、車の凹みを説明する時には、「車が凹んだ」という終わりのみでなく「車が凹んでいなかったということの説明」=はじめ と「凹んでいなかった車が凹んだ過程」=中間がなければならない。
「車が凹んだ」ということを説明するには、「凹んでいない車」が想定され、凹む過程:中間部
を埋めることが要求される。つまり①の文は前件と後件の連関が示されていないので、物語の基準からは外される。その中間部、つまり①の文はアリスタルコスの仕事は、コペルニクスの仕事に「どのような過程を経て」先鞭をつけるに「至ったのか」ということが示されなければ、<物語>となることはできない。
中間部=始まりと終わりの連結部=連関部
 
●物語が成立するためには、まずそもそも物語文の真正性の担保が必要である。つまり出来事がきちんと実在した!ということ=歴史的実在性と、前件と後件の生起の論理的なつながりの正しさ、つまり「車が凹む」という結果をもたらした、原因の正しさが必要となる。車が凹んだ原因として、「隣の国のある村で、1匹の蝶が羽ばたいた」ということは無関係である。
 
●出来事の一致は物語文の必要条件であり、十分条件でない
(何故ならば1)出来事間の関連を記述する文としては誤りのものがある。
(例えば)コペルニクスは地動説を唱えた。影山温士は先週日曜日ダンスをした。という文は、事実を述べている点では正しいが、一切の出来事の連関がない。よって物語文ではない。
(何故ならば2)そもそも物語文ではその出来事連関が何と対応しているのか(=どういうことを意味しているのか)が非常に曖昧である
 もっと言えば、物語ることによって何を意味しているのかがわかることがある。物語る以前には対応する意味(=その物語がどういうことを意味しているか)は認識されない。
 →よって物語文の真正性は出来事の実在性と一致だけでは、本当だと言えない。
 (=ある物語が正しいと判断するのに、出来事が本当にあったということだけでは不十分)
(→歴史的真理は根本的に合意の問題である=何を正しいとするかはこちら側の合意だという議論もある注7 byバウムガルトナー)
 
ダントー実在論的歴史哲学者でもあれば、反実在論的歴史哲学者でもある。どっちだ?
ダントー実在論的歴史哲学者みたいだ
(何故ならば)物語文の真正性を歴史的実在性に求めるから
だが、一方で反実在論的な主張もしている
 証拠1「科学用語を用いた文や観察の際に使用される文の主な役割は現在の経験を組織化するのを助けることに役割がある」
 証拠2「<ジュリアス・シーザー>のような語は「電子」や「エディプス・コンプレックス」がそれぞれ物理学や精神分析学の理論で果たすのと似たような役割を歴史研究において果たしている。」
 →ここからわかるのは、ダントーが<歴史の道具主義>的立場を取っていることである。
つまり言い換えると、ダントーは実際に観察され得ないものを土台に、歴史を構築するのを認めている。電子や素粒子ってのは、観察できないし、実際に存在するかどうかはわからないけど、電子や素粒子が「存在する」と思うことによって、論理的に説明できる事象がたくさんある。だから、電子や素粒子の存在を(見えないけど)想定する。ダントーは、カエサルがいたかいなかったかはわからないけど、カエサルが存在したとすることで、論理的に説明できることがたくさんある。だからカエサルは存在した!と主張できる。と考えた。「カエサルが存在した!」という言明が「様々な事象を説明するのに」非常に強力であるから、この「カエサルが存在した!」という言明を認め、真とするのである。電子や素粒子の存在の真偽をもはや問わないのと同じで、「カエサルが存在した!」という真偽も問わない立場(=道具主義)をダントーは取っているのだ。
 
Qダントー実在論的歴史哲学者でもあれば、反実在論的歴史哲学者でもある。どっちだ?
 →どちらでもある=ダントーの立場は矛盾を孕む(注8 ウェーバーマン「(ダントーは)維持不可能な二元論に陥っている(何故ならば)ダントーは過去の実在性に依拠しつつ物語文を構築するが、物語文によって過去の実在性は変化するから」)
 
結論)ダントーの「歴史的出来事の実在性」の扱いには問題がある(という認識にとどめておこう、という著者の意向)→歴史の物語行為と、過去の出来事の循環関係に留意をすべきである!
 
 
●物語ることと出来事の「循環」
存在論的先行性と認識論的先行性とにある循環構造」(野家啓一『歴史のナラトロジー』)
実在論的立場)
(過去の出来事)→(物語るという行為)=物語るということはここから
始まる、出来事がないと物語ることは無理、物語をスタートさせるには
出来事が存在しないと無理
反実在論的立場、道具主義
(物語るという行為)→(過去の出来事)=物語ることによって、
過去の実在性が担保される
「過去の実在性は物語行為を前提にし、物語行為は過去の実在性を前提にする」=循環構造
 
Qでもなんで、物語るという行為が過去の実在性を「付与」できるの?=物語る行為によって、どうしてほんまにあったということに「することができる?」
 →「とりあえずはこれで整合的で、正しいと考えられている歴史(=膨大な資料・証拠が批判的検討にさらされて整合的な説明のもと、物語として説明されている)」
   を我々は所有しているから
そして、その都度新たに提起される物語・物語文は、それまで蓄積されてきた物語(「歴史物語の束」)との整合性によって実在性が認められる。
つまり、<さしあたって真とされている歴史(新たに提起される物語)>という構造を取っている。要するに、歴史的物語の実在性は、さしあたって真とされる歴史物語内在的に容認される。
 
Q歴史を物語るというポイエーシス(=言語的制作)的行為から歴史的実在性へとどのように移行するのか
(=歴史を物語るという一人によって言語的制作行動はどのようにして「そうあった」という多くの人が認める事実(とされるもの)へと移行するのか?主観→客観の意向はどのようにして行われるか?)
→歴史的実在性は、先行する真とされる歴史に整合する限りにおいて容認される(一人が言い出した物語、みんなが認める物語と整合的で有る限り認められる)小さな物語は大きな物語に包摂されうる限り、成立する。
 
 
 
*論文の書き方に関して見習いたいところ
・分かりにくい引用をしたら「少々分かりにくい引用だが」と断り、その解説をあとで設ける
・問いを立てたらすぐに結論を示す「あらかじめ言っておけば〜だ」「この問いに対し筆者は〜と答えることにしよう」
 
 

『物語としての歴史:歴史の分析哲学』アーサー・ C・ダントー ①

 
p13ー一章の内容
 
実在論的歴史哲学と分析的歴史哲学の違いとは?
ダントーは両者をこのように区別している
実在論的歴史哲学 分析的歴史哲学
通常の歴史研究=過去の出来事に説明を与える
*+過去の以上を目指す
実在論的歴史哲学の仕事+歴史の実践からも生ずる概念的諸問題を主題とする
哲学とは無関係 哲学に他ならない
歴史全体に説明を与えようとしている…①
 
 
実在論的歴史哲学者の仕事について
 
 ①これは問題!だって、普通の歴史家は、過去に起きたことすべてについて完璧に記述しようとする。もしこのような完璧な歴史(=起こったことすべてについて完璧に記述された歴史)ができたとしても、これは歴史全体についての歴史ではなくて、過去全体についての歴史だから。
→というか、だいたいそんなことは無理!実際には歴史には多くの隙間(=わからないこと、不確かなこと、記述しきれないこと)がある。
 
でも、仮にもし、神のごとき歴史家が、過去に起きたことをすべて完璧に記述するとしよう、そうすると、その神のような歴史家によって作られる歴史は、「理想的な編年史」となる。
 
だがこの「完璧な」歴史っていうのは、実在論的歴史哲学者にとっての「資料」の範疇を超えるものではない。なぜかというと、彼らの目指すものは歴史「全体」の説明であって、全体においては、「過去」は一部分に過ぎないからだ。
 
実在論的歴史哲学者はこの資料を利用し、歴史全体に関わる理論を構築しようとする。この理論には二種類ある。それが↓
 
記述理論 パターンを見出す 説明理論 そのパターンの理由・なぜそのパターンが成り立つかを説明する(グリーンバーグのナラティブが強力であり「歴史哲学」に値するとダントーが考えるのは、は説明理論を用いているからに他ならない。(タブン)
過去全体を構成する出来事の中にパターンを見出し、このパターンを未来にも投影して、未来の出来事も過去の出来事に示されたパターンを繰り返すか、あるいは補完する
=要は、未来は過去のパターンの繰り返し、あるいはパターンの亜種、発展系、親戚である
記述理論を因果関係を用いて説明する。要は、原因と結果の関係から過去を分析してパターンを見出し、未来の出来事を同様に(原因と結果を用いて)説明する
 
記述理論てのは説明理論に支えられて初めて価値を持つ。そうじゃないと、一般的なことを説明の根拠に使うだけで、凡庸なものになっちゃう!→これは社会科学の一助となるだけ。
 
例えば;アジア人だから、氷河期だから、貨幣経済だから〜〜である。など(正直、例が思い浮かばないのであまりわかってない)
 
ダントーが「歴史哲学」という例:マルクス主義…”全ての歴史は階級闘争の歴史である”(歴史っていうのは過去も未来も、階級闘争というパターンによって説明できる)
 
”このパターンはその存続を支える因果要素が将来無効になるため、いつの日か終焉するとマルクスは予言した。”(モダニズムの理論と類似している。モダニズムは、芸術の派と派が芸術界の主流になろうとした闘争の歴史。マニフェストによって、「これこそが芸術である!」と声高々に宣言。たとえ全ての派にマニフェストが存在しなくてもそれは問題ではない。批評家たちが代わりにそのマニフェストを補っているから。
 
→(従って)「社会に階級がなくなれば階級闘争も終わるのだから、階級闘争が終わった時、彼のいう歴史も終わるのである」
マルクスは彼のいう「歴史」の終わった後について、「ユートピア的なものが訪れる」とほのめかした以外に言うことをためらった。
 
→歴史全体というのは、定義された歴史(=体系的解釈)が終わった後も含む、つまり、歴史の終焉後も「全体」の一部をなす。よって歴史全体は過去全体の「理想的な編年史」とだけでなく「歴史の終焉後」も包摂している。
 
●歴史家と実在論的歴史哲学者の違い
 
歴史家 実在論的歴史哲学者
・過去のみに関心を向ける
=過去に起きたことを収集することが仕事
・資料収集の企てに過ぎない
歴史家の仕事(=過去に起きたことのを資料の収集)を土台として過去の出来事を因果関係の視点からパターン化し、未来にそのパターンを適用する。このことによってあたかも未来を予言的(=未来をあたかも過去かのように)説明する。
要は、過去のデータをもとに理論を構築し、それを未来にも適用しようとする
歴史の詳細な説明のため、事例から事例を推測する。
その域をどんどん豊かにしていくイメージ(自己充足的)
事例→理論 一般化を行う
理論は時間の経過に耐えうる(と思われる)というか理論によって歴史を規定する?
絶対精神へと至る過程を理論(=前提)として歴史を語る。歴史を全ていい尽くすことはできないという前提で、歴史の一側面をある観点から語る。このことが歴史哲学者の仕事では???
物語構造をとる 物語構造をとる
一連の出来事に解釈を与える 一連の出来事に解釈を与える(科学と違うところ!!!)=あるものの意味を見出す!
過去を、大過去を頼りに描き出す 未来を過去から描き出す
しかし、歴史の中にも、歴史哲学のような、パターン化して、未知のものを判定することがあるという。この具体例として、は次のようなものがあげられている。
(歴史家が古文書や古美術を鑑定したり、出来事の年代を定めたり、あるいはさー・ウォルター・ローリーが本当に無神論者だったか決定したりすること。)
つまり歴史の中に「事実を整合的なパターンに組織しようとする傾向があり」、これは歴史哲学者の仕事と似ているということである。
 
 
 
Qじゃあ歴史家の仕事と歴史哲学者の仕事とはどこが違うのか?
 A→「後者が前者とは違って詳細な事実発見に基づいた上で、さらに説明を与えるという点ではなく、歴史哲学者の作り出す説明が、歴史の領域を超えて歴史自身が果たす機能以上のことを成し遂げようとすれば、それは全く別の説明にならざるを得ない」
パラフレーズすると)歴史家は歴史をより詳細なものにするために、証拠から推測へ、証拠から推測へ…という過程をたどり、より深い(幅広い、詳細な)説明を歴史に与えようとするのに対し、歴史哲学者は歴史というジャンルを乗り越えるような理論を編み出す。
 
 
その例:「ユーゴスラビアで三つの精巧なローマ式墓地が別々の場所で発見されたとして、仮に死者の道の端に埋葬するというローマの風習を知っていればこれらの墓はいずれも本街道にあったという推測ができる」=歴史にも、過去の証拠に基づく推測ができる=歴史考証(事例の説明に事例を用いる)
 
具体例)
りんごが木から落ちる→じゃあバナナも木から落ちるだろう(=事例を増やしていく、事例から事例を推測する)(歴史家)
                  ⇅
りんごは木から落ちる→全てのものには引力が存在する(=事例から理論を導く、そしてこの理論はジャンルを超えて応用可能であると同時に、普遍的と思われるものを抽出する→未来を語る、…「今の所、100年後も引力がなくなるとは思えない」)(歴史哲学者)
 
歴史哲学は、「歴史的事象やその進み行きを統合して一つの究極的意味へと向かわせる原則に乗っ取った、世界史の体系的解釈」byレーヴィット博士
 
 
●意味・解釈とはどういうこと?
 歴史哲学において意味があるってのは、「ある出来事を、大きな時間の流れから見たときに、その出来事が直接的に表す以上の意味を持っている」ということ。
小説の伏線も、最初はそれが何なのか、意味があるのか意味わからんけど、本を読み終わってから意味があったってわかる。
 
 →(過去・未来どちらも含む)歴史全体を自分で(勝手に)構想し、歴史哲学者は、過去に起こった出来事を未来に対してどのような意味を持つかを位置付けようとする。あたかも「予言」するかのように未来について語るのである。
 
予言 予測
・未来を歴史的に語ること
・既成事実としての未来に照らして現在を語ること
実在論的歴史哲学者は予言的に未来を語る=神学的・宗教的=大言壮語に思われがち
・未来を不確かなものとして、あくまでも「なりうる」という一つのを示すこと
 
●歴史における意味(意義)について
「ある出来事を、大きな時間の流れから見たときに、その出来事が直接的に表す以上の意味を持っている」
とほとんど同じだが、例えば、Aという著作がBに影響を与えたという事例を考える。
Aという著作は、それが書かれているとき、まさかBという著作が書かれていないのだから、Bという著作に影響を与えることは想定されない。
しかし、Bという著作が書かれた後、BはAから影響を受けているということが明らかにされる。
このときに初めて、AはBに影響を与えたという意義を持つ。
 
→歴史家は過去の出来事を振り返って、意義を「付与」する。
意義というものは、未来から振り返って、時間遡行的に見出されるもの
また、歴史における意義というものは、その歴史がどのような物語であるかによっても異なる。
言い換えると、その歴史が何に注目して織りなされるものかによって異なる
視点によって、出来事の意義は可変的である
 
*物語=ある視点によって選別された一連の出来事
 →物語は過去の出来事を取捨選択してできている。
  →つまりそこには出来事の取捨選択の基準がある
  (出来事はEは基準Sによって物語に組み込まれるが、出来事E’は同じ基準によって物語から排除    
        される)
 
実在論的歴史哲学者が犯してしまう間違い!
=意義というものは、未来から振り返って、時間遡行的に見出されるもの
にもかかわらず、かれら(実在論的歴史哲学者たち)は意義を付与する未来の出来事が起こる前に、出来事に意義を見出そうとする。
 →時間的遡行なしに、「意義らしいもの」を出来事に貼り付ける。
  =自分が見出したパターンで未来を説明しようとする?「未来に対して一種の要請を行う」…無理やり自分ルールで説明するって感じ
 
実在論的歴史哲学者に対する批判
歴史哲学者は、<歴史における意味><歴史の意味>を区別していない、混同している
という批判。それによれば、
歴史における意味 歴史(=自身の定義するコンテクスト・物語)の意味
コンテクストにおける意味
自分の定義する歴史における意味
自分の視点で選択した出来事のもつ意味
哲学者が決める歴史
その意味はもはや歴史的意義を持たない場合もある ex神の意志
 
<歴史における意味>
{ある物語A(ある出来事A)} …ある出来事Aはある物語Aによって意義(=意味)づけられる
{ある物語B(ある物語A)}…ある物語Aはある物語Bに位置付けられて意義づけられる
[ある物語C{ある物語B(ある物語A)}]…ある物語Bはある物語Cに位置付けられて意義づけられる
↓これを繰り返して、物語をどんどん広くしていく…
[理論上可能な最大の物語=歴史全体{物語(…)}]という入れ子構造になる。
→では<歴史の意味は何か?>
それは歴史哲学者によって様々である。ヘーゲルの場合、「歴史は絶対的なものの自己認識へ至る過程である」と考えた。(現象学)←この定義に即してヘーゲルは出来事を<歴史における意味>があるか、取捨選択した。(→
<歴史の意味>を問い始めると、もはやそれは非歴史的な議論になる。
(例えば、なんで神の意志なんだ?とか言い始めたら、神学的な議論になる。)
 
Qヘーゲルを批判しているのか?→言い換えれば、ヘーゲルは自分ルールで未来を語ったか?→美学においては語ってない。なぜなら終焉があるから。終焉があるってことはその時点で終わったということだから、そもそも過去のものとして芸術を語っている。未来についての言及=知性が要求されるだろう。とは言っているが。これについては詳細な情報を得なければならない。マルクスが言ったように、「ユートピアが来るだろう」的な感じでぼやかしたのか?「人間の諸目的に仕える」と言ってるから、。未来について述べてるんじゃねえか?←検討必要
Qヘーゲルは歴史哲学者なのか?→パターン・自分ルール・自分の定義する歴史・物語に即して出来事を取捨選択している点で歴史哲学者と言える。ただ、ヘーゲル自身は「歴史哲学者」と思っていたのか?なぜならヘーゲルは「歴史が問題とするのは、過去のことだから」と述べている。(注12)
 
 
 
●科学理論と歴史哲学
 
科学理論 歴史哲学
未来への申し立ては妥当
未来への申し立ては非妥当
 
出来事の組織化様式は、未来を立案することを容認しない
規約性のみによって成り立つ
=客観性のみが理論体系を構築している
歴史的意義と非歴史的意義のハイブリッド
(非歴史的意義は、人々の関心によって変容)
例えば、中世では神を信じる人が多かったのに対し、現代ではそれと比べたら、すげえ少ない。あるものに対する関心ってのは諸行無常。そして歴史的意義ってのはそういう諸行無常的なものによって影響されてたりする。ヘーゲルの絶対知とかもそうじゃね?
=「規約性(客観性)と恣意性(主観性)」
 
●「歴史哲学というのは語義矛盾である」
 
歴史 哲学
並列関係=時間関係 従属関係=非時間関係=論理関係
既述の通り「資料収集の企て」 限界の特定を哲学の本分とする
→まぁ細かいことは置いといて、直感的にそれらは違うものだと認識するやろ?
 
本書のテーマ:「歴史家にとってはいずれもが過去でありながら、その内部では互いに一方が過去となり、一方では未来となる」が、「歴史家にとって、なぜいずれもが過去でならねばならないのか、本当にそうなるべきか」を見極めるのが歴史の分析哲学である。
=分析的歴史哲学というのは、歴史哲学の内容とその妥当性の分析、限定化(過去のものを過去とする範囲を決める領域画定)である。
 
 
 

神林恒道・太田喬夫編(1994)『芸術における近代』(転換期のフィロソフィー)2,ミネルヴァ書房

●4節:ヘーゲル市民社会の芸術 p122〜
ゲートマン=ジーフェルトさん(=現代のヘーゲル美学論者の一人)によれば、ヘーゲルは美しくない芸術も、評価した。その理由は美しくない芸術の中にも「社会的機能」があるから。ヘーゲルは美しい芸術が素晴らしい!絶対的だ!という「古典主義」的な立場を取らなかったということ。
 
ヘーゲルはシラーの悲劇から、悲劇というジャンル自体の没落を見た。なぜなら、悲劇は美的でもなければ、ほとんど社会的機能も持たないからだ。ほとんどというのは、悲劇が指し示すものは、他のどんなメロドラマからも読み取ることができる。悲劇というのは、もはやメロドラマと同じくらいしか価値がない。これを<が近代悲劇の悲劇性(「最高に悲劇的な失敗」)>とヘーゲルはよんでいる。
 
なぜ悲劇は没落してしまったかというと、ヘーゲル「新しい世界を芸術的に表現するには、新しいジャンル、構造、形式が必要であり、古いものを取り戻すことはできない」と考えたからだ。要は、悲劇はもう今の社会を批判したりする機能を持つにはには古くなってしまったということだ。言い換えれば、悲劇の社会を批判したりするという構造の賞味期限がきたということだ。
 
だからヘーゲルは『現象学』では(シラーの悲劇ではなく、)ディドロの『ラモーの甥』をその当時(近代社会)に社会的機能を持つ文芸として考えた。
 
市民社会の芸術…オペラ!とヘーゲル(←これって、ダントーにとってのブリロ・ボックスだったんじゃないか?)…
 
ヘーゲルはオペラ狂いだった。←オペラを美しい芸術として正当化した。ただし、オペラが美的価値を持つというのはその社会的機能による。(だから、「古典主義的」な判断ではない)ヘーゲルは、オペラの社会的機能を「特定の内容から解放されて異国の文化の理解へと人々の関心を開く、芸術の機能」と考えた。岩城見一はヘーゲルの芸術理解の特徴を「人間を『世界市民』へと形成する機能を芸術に見る『コスモポリティズム』」であると述べている。つまり、芸術には人をコスモポリタンへと向かわせる機能があるとヘーゲルは考えていた。
 
 →ダントーは、ブリロボックスによって、他の異質な芸術を許容する時代、寛容な時代、芸術作品のコスモポリタンの時代になったと考えた。要は、ブリロボックス=オペラと考えたらいい。オペラが人を世界市民(異国の人を排斥しない、寛容な人)へと導いたのと同じように、ブリロボックスが他の芸術作品を「世界”作品”」にしたと考えてもいいのではないか?
 
ダールハウスさん(現代のドイツの音楽美学界における権威)が、ヘーゲルの生きた時代の音楽状況を分析するに、こうだ↓
彼の時代には、音楽界で、音楽の「自律」がなされた。特にそれは「器楽(楽器で演奏する音楽)」の中でも「交響曲」において「音楽は自律した」と考えられた。そして「交響曲の自律」は形而上学的な「意味」をもたらしたという。
当時の音楽に対する思想としてカントの「形式と質料」を二つに分ける考え方を受け継いだハンスリックはこう考えた→「概念」を示すことは音楽にはできないから、音楽は「怒り」とか「悲しみ」とかを表現することはできない。だから17、18世紀の人間の情念を模倣しようとするバロック音楽はだめ!音楽の本質(内容)は、感情とか音楽の外にあるものではなくて、その音自身にある。(GBの内省と同じやなぁ)それはこのことを考えれば腑に落ちる。日本語、英語、など様々な言語一般において、音はある対象を指し示すための手段でしかないし、言語を使う目的は発音することではない。それに対して音楽ってのは、音(素材とその組み合わせ)自体が芸術。だから音楽においては「「音響」は「自己目的」として登場する」と言える。
 
→つまり、19世紀の音楽においては、内容と形式が分かれている。
この分化に、ヘーゲルは芸術の終焉をみた。(ダールハウスさんからしたら、当時の流行の形式主義を理解できないヘーゲルさんは古い人に見えた。だって、ヘーゲルさんが、オペラを「劇的な筋、内容(=ドラマ性)」をオペラの本質と考えていた、とダールハウスさんは思っていたからだ。岩城(著者)さんは、この見方は19世紀の音楽史観に囚われていると批判している)
 
 
 
ドイツ・オペラ イタリア・オペラ
特殊な内容にこだわる 一般的なものにとどまる
演劇的朗吟(内容) はるかに自由、音楽それ自体で動くに任せる
ドイツ語は固い→オペラに不向き
 
ヘーゲルが言いたいことの本質はどっちがいいとか悪いとかいう表面的なことじゃない。ヘーゲルが言いたいのは「オペラにおける『テクスト』からの『歌手の自立』であり、テクストの意味ぶかさよりも、それを解釈(上演)する歌手、とりわけイタリア人歌手の『巧みさ』である。」
つまり、
ヘーゲルが見ているのは芸術の同一的な『機能』ではなく、市民社会の中で育ってきた芸術の、過去の倫理的な拘束を破壊する新しい<力>なのである。」
言い換えたら、イタリアのオペラってのは、テクスト=内容っていう伝統的なもの、それまで本質的なものとされてきたものを離れて、自由に音楽に合わせて歌手が表現する。このことはまさに、伝統をぶっ壊す市民社会の力を反映したものや!「社会の構造の変化が、イタリアのオペラには現れとる」これをヘーゲルは洞察した。
 
さっきあげられた、精神現象学に入れられている『ラモーの甥』(アンシャンレジームを批判するディドロによる小説)には、実はフランスの宮廷音楽が、イタリアのこうした(前衛的なと言っていいのか?)伝統をぶっ壊すようなオペラによって影響されて、フランスの従来の伝統的な宮廷音楽が変容していく様子が描かれれいる。
 
=一般化すれば、社会構造の変化=<新しい力の出現>と芸術状況は関係している。だから→「ポストヒストリカルな時代における芸術の多元主義をこれからきたる政治状況の予言として捉えている。ダントーの主張と結びつけられるのでは?」
 
●この章で気付いた
ヘーゲルダントーとりあえずの整理…
 
 
ヘーゲル ダントー
社会構造
階級社会→市民社会(=偽市民社会
(非平等→偽平等)
(偽平等→真平等)
(*偽の市民社会:実は全然平等じゃなかった、例えば黒人差別、女性差別など)
時代 前近代→近代 モダン→ポスト・モダン
芸術状況 フランスの宮廷音楽・ドイツのオペラ(伝統、権威的・内容重視・固定的)→イタリアのオペラ(前衛・内容からの自立、自由な表現=歌手の才能→作家の「天才」性、ロマン的?) 平面化、(その頂点としての)抽象表現主義グリーンバーグのナラティブ→モダニズム理論→美的価値=メディウムスペシフィティ、スタイル的命法、権威性)→ポップ・アート(スタイル的命法からの自立、自由な表現が許容され、支配的なスタイルが生まれない、美的エントロピーの極大、ウォーホル「何もかもが素敵」ボイス「誰もが芸術家」